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和歌山地方裁判所御坊支部 平成2年(ワ)14号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、金一〇八一万五〇〇〇円及びこれに対する平成二年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告の所有する船舶が船長である被告の過失により防波堤に衝突し、原告が右防波堤の復旧工事の支払を余儀なくされたとして、右工事代金の求償を求めた訴訟である。

(当事者間に争いのない事実及び争点判断の前提事実)

一  原告は、丙川丸他の汽船を所有して木材等の運搬を業とするものである。

二  原告は、その弟である被告及び訴外乙山春夫を雇用していたが、右両名を使つて丙川丸を運行させていた。同船の総屯数は一六七屯である。

被告は同船の船長、乙山は機関長であつて、専ら右二名が同船の運行にあたつていた。両名はワッチ交替制をとつており、原則三時間交替で操舵・見張りにあたつており、右体制をとること自体は原告もこれを容認していた。

三  被告及び乙山は、平成元年七月二四日午後一時ころ、香川県詫間港において丙川丸に外材を積み込み、和歌山県御坊港に向けて出港した。

御坊港と詫間港の所用時間は九ないし一〇時間である。

四  被告は、詫間港出発時においては操舵を担当していたが、午後二時ころ、乙山に操舵を交替し食事を済ませた後仮眠していた。

乙山は自動操舵によつて運行していたところ、午後三時一七分ころ、女木島灯台から真方位二五一度約一四二〇メートルにいたつたころ(別紙図面上Aの地点)、蒸し暑くなつてきたため眠気をもよおしたが、そのまま自動操舵で漫然運行させた過失により居眠り状態で操舵をなし、当日の予定運行航路である同図面上の青線上をはずれ、同船をそのまま別紙図面赤線上を直進進行させた結果、同日午後三時三〇分ころ、同船を高松港朝日町外防波堤に衝突させ、防波堤の一部を破損した(右衝突地点は同図面上B地点)。

五  その後、原告は同船の所有者として高松港管理事務所運輸省第三港湾建設局、香川県高松土木事務所等と防波堤の破損箇所の復旧工事について協議した結果、原告が高松市所在の訴外東亜建設工業株式会社に右工事を発注し、平成二年六月二〇日右工事が完成したものであるが、原告は右復旧工事費用として、同年五月二一日同株式会社に金一〇八一万五〇〇〇円を支払つた。

(本件の主たる争点)

一  本件の主たる争点は、本件事故当時仮眠をとつていた被告に過失が認められるかにある。

二  この点について、原告は、ワッチ交替制をとつていたからといつて、被告の船長としての職務は解除されるわけではなく、仮眠をとつたこと自体被告の過失であると主張する。

三  これに対して、被告は、ワッチ交替制をとつていることや被告の加重な勤務状況からして、乙山の操舵中には被告が仮眠をとることは許されていると解されるべきであつて、被告に過失はないと主張する。

(本件のその他の争点)

仮に、被告に過失が認められる場合、船主である原告が被告に求償権を行使することは信義則上制限されるか。

第三  主たる争点に関する判断

一  被告と乙山の操舵及び見張りの役割については、一定時間内において乙山が操舵及び見張りの役割を担当するという慣行があつたこと、右時間内に本件事故が発生したこと、当時被告が仮眠をとつていたことはいずれも当事者間に争いはない。

ところで、商法七〇五条、七〇六条、船員法七条、一〇条、一二条は船の運行に関する船長の特別重い注意義務を予定している。このことからすれば、右のような慣行があつたからといつて、その一事をもつて他の船員が操舵中(以下待機時間という)船長において仮眠をとることが許されるといえるものではないことは原告の主張するとおりである。そして待機時間中も船長が常に操舵や見張りの状況について具体的に把握していることが望ましいことであることも否定できない。

しかしながら、待機時間中において、船長が船の運行につき危険な状態を感知しえなくとも常に操舵にあたる船員の動向に注意すべき義務があるのか、それとも右危険を感知しえた場合に限り他の船員に対する具体的指揮命令や自ら操舵、見張りをなすといつた義務が生じるのであつて、右の場合を除いては待機時間を自らの休養にあててよいのかは、運行時間、回数、距離等の船の運行状況、船員の数、船長及び船員の勤務状況、操舵に当たる船員の能力等の要素を総合的に考えて判断するしかないものである。

この点から右各事実について検討していくと、《証拠略》によると、次の各事実が認められる。

1  丙川丸の運行は大阪港、坂出港、丸亀港、ないしは詫間港と御坊港の往復が主であつて、右各片道の所用時間は大阪港の場合六、七時間、坂出港他二港の場合八ないし一〇時間である。

2  昭和六三年七月から平成元年七月までの右往復回数は別表一のとおりであり、平成元年五月及び六月の運行回数が比較的少ないのは本船の検査が行われたためと認められるから、概ね一か月一二、三回の往復をしていたことが認められる。そして、被告及び乙山は荷積み作業にも従事していた関係上、その拘束時間は、別表二記載のとおり概ね一か月三〇〇時間以上多い場合には一か月四〇〇時間近くに及んでいる。

3  本船は、午後に御坊港を出港することが多いが、その場合目的港に到着するのは夜中すぎから翌朝に及ぶ。

4  乙山は船員として三〇年以上の経験を有し、船長としての資格も有している。

二  右に認定したような状況下において、被告に対しその待機時間中乙山の操舵及び見張りの状況を具体的に把握することを要求することは無理を強いることにほかならないと考えられる。即ち、被告の拘束時間は一週間に引き直すと、約七〇時間から八〇時間に及ぶものであつて、本船の運行は長い場合は片道で約一〇時間に及ぶこと、しかも夜中の時間帯の航行も頻繁であることからみて待機時間中は休養を採らざるえないことは明らかである。また、他に船員がおればその者を連絡員として操舵担当者の状況を把握するという体制も採れようが本船ではそれもできないことを考えると、待機時間中にも操舵担当者の状況を具体的に把握するということは休養を採らないでおくことにほぼ等しいものである。従つて、被告がその待機時間中操舵担当者である乙山の具体的操舵状況について把握監督することは極めて困難と認められる。このような運行及び勤務状況下においても、操舵の担当者が経験が浅く能力に不安のある場合には、原告は船長としてその待機時間中といえども担当者の操舵状況を把握しておくべき義務があると認められるが、乙山が船員として比較的高い能力を有していたことは前記のとおりである。従つて、被告はその待機時間中乙山の操舵状況について具体的に把握監督する義務まではなく仮眠等休養にあてることは許されると解するべきである。もちろん、待機時間中だからといつて被告の船長としての義務が全面的に解除されるものではないが、その義務の内容は、船の運行面についていえば、船員法一〇条に規定されている船舶が港を出入りするとき、狭い水路を通過するとき、その他船の運行についての危険を感知しえたときに限り、乙山に対し具体的指揮監督をなし場合によつては操舵を交替するなどして右危険を回避するというものにとどまると解される。

三  では、本件事故当時本船の運行について危険を感知しうる状況にあつたであろうか。《証拠略》によれば、本船が詫間港を出港してから本件事故にあうまで、比較的危険が高いと思われる詫間港内は被告が操舵しており(船員法一〇条にいう港の出入りに該当する。)、港外に出てから本件事故にあうまで天候その他の関係上特に危険を感知せしめるような状況にはなかつたこと、乙山が体調の不調を訴えたりしたこともないことがそれぞれ認められるのであつて、被告にとつて乙山の居眠りやそれに基づく本件事故は全くの予想外の出来事であつてその危険を感知することは不可能であつたと認められる。

また、別紙図面の青線に表示された航路が特に危険であるとも認められない。右予定航路は潮流の関係で選択されたものであつて、備讃瀬戸東航路のいわば裏道にあたるが、女木島から高松港防波堤まで約二キロメートルの距離があることを考えると、本件事故現場付近が船員法一〇条にいう狭い水路に該当するとは認められない。また、本件予定航路は、船舶の往来が頻繁な右東航路に比較して困難が多いともいえない。本件予定航路内で危険性が高いのは港湾の出入り及び鳴門海峡付近であるが、右場所においては従来から被告が操舵を担当してきた。もちろん瀬戸内海全般が船の運行にとつて危険の多い場所であることはよく知られたところであるが、だからといつてその航路全般にわたつて被告が操舵を担当することが不可能であることは前記のとおりである。

四  以上の次第であつて、被告に過失は認められないから、その余(原告の請求が信義則に反しないかの点)について判断するまでもなく原告の請求は理由がない。

(裁判官 樋口英明)

《当事者》

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 山根 宏

被告 甲野次郎

右訴訟代理人弁護士 岩橋 健

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